ちょっと間が空きましたが、会報を発行しています。
■今号のコンテンツ(表紙画モデル: シロヒトリ)
・「青い山脈」の替え歌でリニア反対! 池田忠久(うたごえサークルやまなみ)
・左右に振り切れた「記念日」と言われる日 前島久美
・クスノキ讃歌 〜私憤を込めて〜 浅賀きみ江(橋本の緑と安心を守る会 共同代表)
・リニアなんて糞喰らえ! 中川賢俊 (写真家、高森町在住)
・コロナ騒動の意味するところ・・・味沢道明(日本家族再生センター・京都府)
・「伊那谷スケッチ ~自然と文化を巡るふるさと再発見~ 第46回 」 前島 久美
・「たらたらと読み切り156 流行り病に右往左往」 宗像 充
・【県内街道レポ】妻籠宿〜馬籠宿 旧街道を行く 前島久美
・飯田のデモを楽しんだ 大橋菜穂子
・「とおせんぼ」(リニア情報) 前島/宗像
「大鹿の十年先を変える会」の理念は「自分たちのことは自分たちが決める/山と里、街と村、人と自然のいい関係/リニア新幹線失敗の早期実現」です。
「越路」は「大鹿の十年先を変える会」への完全カンパ・投げ銭方式で運営されます。
ご協力をお願い致します。
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編集・出版:大鹿の十年先を変える会
発行責任者:宗像 充(長野県大鹿村大河原2208)
電話:0265-39-2067
mail:munakatami@gmail.com
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深く「むら」に触れてみたい方へ、滞在中の余暇におすすめ。コアな情報は越路でキャッチ。
■今号のコンテンツ(今号の表紙画モデル: オオミズアオ)
・リニア沿線探訪〜静岡県井川を訪ねて〜 前島久美
・リニアファシズムの谷大鹿村 全文公開 〜大鹿村議会からのお願い〜 前島久美
・大鹿は大鹿のままで 下澤眞澄
・大鹿村のコケ1 コケ植物という生き物 井上侑哉 (広島大学 服部植物研究所)
・私達もリニア中央新幹線建設工事に反対し、JR東海名古屋本社前で街頭演説活動をしています リニアを問う 愛知市民ネット 塚田蒼生子
・「伊那谷スケッチ ~自然と文化を巡るふるさと再発見~ 第43回 」 前島 久美
・「転がる石には苔生さず その13」 難波 広
・「祭りの楽しみ」 村上らっぱ
・「たらたらと読み切り153 日本一高いと言われる峠」 宗像 充
・「とおせんぼ」(リニア情報)宗像充
「大鹿の十年先を変える会」の理念は「自分たちのことは自分たちが決める/山と里、街と村、人と自然のいい関係/リニア新幹線失敗の早期実現」です。
「越路」は「大鹿の十年先を変える会」への完全カンパ・投げ銭方式で運営されます。
ご協力をお願い致します。
6月30日(日)、大鹿村上蔵地区集会所で行われた「
まずは作家・渡辺一枝さんのチベットのお話。1950年、
チベットの反抗すると拘束される状況と大鹿村を並べて考えること
興味深かったのは、鉄道開通による人々の暮らしの変化であった。
その変化をどう受け止めるかも個々のチベット人に依るようだ。
これまでもチベットの人々は、寺を破壊されたり、
また以前は凍死や射殺、
チベット問題から何が学べるかと問われるとよくわからない。
話はガラッと変わり、続いて前島さんの「佐倉義民伝」
今でも多くの人の信仰を集めているそうだが、
今回は詳しい話を聞く時間はなかったので、
「越路」新刊から
私は長野県南部の小さな村に生まれ、18歳で親元を離れるまでそこで過ごした。
実家は村の南の端にあり、北の端にある学校までの道のりは片道3km強の距離があり雨の日も風の日もその道を9年間通学した。そんな通学路から眺めると東に高烏谷山から戸倉山、陣場形山に至る伊那山脈が、その後方に二児山さらにその先には甲斐駒ケ岳や仙丈ケ岳、北岳、間ノ岳、農鳥岳などの赤石山脈の山々が重畳と連なっていて、そんな山々を眺めながら歩くことが子供心にも未知の世界への好奇心や、多少の距離を歩くことをいとわない体力を養ってくれた。やや長じて地理の知識が加わると、伊那山脈と赤石山脈の間の谷が中央構造線という日本列島を縦断する大地溝帯となっていること知った。
そんな私が60歳近くなったころ日本全国の街道歩きに目覚め、江戸時代の五街道、紀伊半島一周などを踏破した後、長年の夢であった中央構造線踏破を目指し長野県諏訪市を出発したのが2013年6月。以後65回に分けて鹿児島県阿久根市に到着したのが2015年12月。この間歩いた距離は1573.5km。
旅では、多くの峠を越え谷や川や半島に沿って歩き海峡を渡ったが、心に残るのは行く先々での人々との触れ合いだった。特に南信州や紀伊山地・四国山地・九州山地の狭い谷筋や山の斜面に生活する人々のたくましい生活力には畏敬の念を抱いたものだった。
中央構造線の旅で、旧長谷村から分杭峠を越え大鹿村に入ったのは2013年7月。大鹿村から地蔵峠を越えて旧和田村に向かったのは2013年9月。訪れた多くの村の中でも長野県大鹿村にはさまざまな思い出がある。
私が中学生であった昭和36年(1961)6月伊那地方南部を襲った集中豪雨、いわゆる“36災害”が発生した。実家のある伊那谷でも長雨が続き、その雨がようやく止んだ朝いつも見慣れている伊那山脈に今まで見られなかった無数の土砂崩壊の赤い筋が見られた。その後大鹿村では大西山の大崩壊により、死者・行方不明者42名が出るなど大災害の情報が徐々に伝わってきて、近くの国道を災害救助に向かう数十台の自衛隊の車列が何度も被災地に向かって行った。災害救助が落ち着くと山奥の谷での生活をあきらめた人々が私の村や周辺の市町村に移住してきた。現代と違って仮設住宅など準備されることもなく、村にある空き家などに集団で住むことを余儀なくされたそれらの人々の生活は決して楽な生活ではなかったはずだ。
それから数十年を経過しそんな災害を乗り越えて現在では“日本で一番美しい村”、また大鹿歌舞伎で映画やTVドラマでも紹介されている村として近年とみに全国に知られるようになり、美しい自然や村の人々の温かさにひかれて移住してくる人達もいると聞く。また北川の露頭・安康の露頭などが国の天然記念物にも登録されるようになった。
その村が、今“リニア新幹線建設”で揺れている。
2019年3月。神奈川県相模原市で“リニア新幹線を考える相模原連絡会”が開かれ、大鹿村の前島久美さんが実情報告をされるというので話を聞きに行った。大鹿村では隧道の掘削残土の受け入れ先もまだ決まっていないのに、隧道の本格的建設工事の準備が着々と進んでいる。最盛期には1日、正確には1700台のダンプトラックの運行が公表されている。いま計算を簡略にするため、1600台のダンプトラックが8時間残土を運搬するとして、1時間当たり200台、往復のことを考えると400台、実に9秒間に1台のダンプトラックが県道松川大鹿線を往復することとなる。とても現実的な数字とは思えない。ほかに方法はないのか?
すでに準備工事段階でも、道路整備工事中のトンネル工事の崩落事故で村民の生活に支障をきたしたと聞く。村民の生活道路である県道松川大鹿線が使用できない場合、車での移動は分杭峠・地蔵峠を越えて外部に出る方法しかない。しかしその先も山深い里であり、そこに至る道路も大型車両の通行もできない狭い山道である。“36災害”のような自然災害は防ぎようもない災害であるが、人為災害は未然に防ぐことができる。村民の生活を守るため、村の行政に村民に寄り添った強い姿勢が問われているのではないだろうか。
最近“こどもしょくどう”という映画を見た。映画は親に見捨てられた幼い姉妹の悲劇をえがいている。その映画で姉妹を見守った主人公の少年が最後に「僕らはいつも知らんぷりをしていた」と、大人たちに訴えるシーンが心に残る。私たちは、知らんぷりをしていていいのか。
(2019年4月1日 神奈川県秦野市 飯島清次)