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月別アーカイブ2月 2021

ヒ素は野ざらし

昨日夜電話がかかってきて、飯田市龍江の残土問題に取り組む方が話を聞きたいということなので、早速今日の午前中に村内残土置き場を案内しました。

釜沢には大型車両が入り、小渋線に移動していた誘導係の人も戻ってきて工事が進んでいるようです。

一方、県道赤石岳公園線はまだやってました。

戻ってきて小渋川非常口。

写真を撮られたくないのか、やたら立ち入り禁止の場所が増えていました。で、ヤード横の仮残土置き場には、環境基準値を超えたヒ素が、何の処理もせず、山積みになってました。

もちろん雨ざらしの部分はあります。JRの当初の説明会では、要対策土の置き場というのは、適切な処理がなされていないとならないはずですが、当たり前ですが、業者がそんなの守るわけありません。雨が降れば小渋川に今も流れ込んでいるでしょう。早川町ではその置き場を見ましたが、村内でそれがどこなのか教えてもらっていません(ぼくが知らないだけかもしれません)

で、鉱毒水は小渋湖に流れ込んで、取水している豊丘村あたりの農地を汚染して、野菜にしみこんでいることでしょう。すぐには影響はわからないでしょうから、何か月か何年かして、「どうも最近体調が思わしくないなあ」と豊丘村の野菜を食べた人の口から度々聞かれるようになるかもしれませんね。でも因果関係は多分証明できません。

え、風評被害だって? だったらどうしてリニアが欲しいとか言っているんでしょうね。必要なことなら我慢ではなく、苦難と呼びます。がんばってくださいね。

前の小渋川は河川改修が大規模に入っていました。

残土置き場計画をにらんでのことなのか、昨年の豪雨を受けてのことなのかは聞いてみないとわかりません。もしかして残土置き場の場所を確保するために、流路を右岸よりに戻しているとか。だったら相当にあほです。

小渋川は流路が変わって、残土置き場予定地の部分は完全に川になっていました。川なんだから流路が変わるなんて当たり前で、副村長の長尾あたりが思いついたことなのかもしれませんが、ほんとうに浅はかな計画です。完成したら「長尾台」と呼んで末代まで語り継ぎましょうね。記念碑とか作ったりして。

ちなみに大鹿村では、旧荒川荘跡地を「柳島平」と呼んでいます。

今日の青木川非常口は「吹付中」の表示が出ていました。

深が沢の残土置き場予定地は、コンクリートの攪拌作業をしていました。こんなところに残土を大量に置くなんて無謀。

帰り際、ブナの伐採反対のグループが並べた看板いろいろ。こういうのが「共感が得られる」と呼ぶそうです。趣味の問題だと思うよ。

ところで、同級生の一人は倉本聰の自然塾の運営に携わって富良野に何年かいたらしい。そのとき、倉本聰が、DoとShowと言って違いを説明したらしい。

どうやって見えるかばかりに気を遣うか(つまりShow)というだけでは人の心をとらえない。こみ上げるものを表現する(Do)のは、たとえそれが稚拙でも感動を呼び起こす。

技術だけならプロ野球のほうが格段に上なのに、どうして高校野球のほうがおもしろいのか、考えてみるがいい、と言ったという。

この村に来ると、プロ野球ファンが多いのがよくわかる。

 

良山泊だよ!

毎日が日曜日な生活なのだけど、取材とかは土日は避けるので、結局サラリーマン的に土日はライター以外のことに時間をかけることが多い。

今日も天気がいいので、家の掃除をすることにした。

別れて人が一人減ったので、家は広々としている。泊まりに来る友達がいたり、自治会の班の懇親会をしたりと、それなりに家は広いなりの役に立っているようだ。

とはいえ、年末年始は煙突掃除をして窓ガラスを拭くまでが精いっぱいで、家の掃除までは手が回らなかった。その間に役場が放出した材木を薪用に調達してきて、庭先が材木で埋まっていたので、まずこれを片付けることにした。

友人のつてで、チェーンソーを入手していたので、とにかく切る。切ること2時間、軽トラ二台分の材木が全部切られた。それを積み上げるのにさらに1時間。

量はこの2倍あって、残りは蔵の下に積み上げた。これを明日から斧で地道に薪に変えていく。

うちに泊まりに来た人は、もれなく薪割り体験できます。居候の仕事といえば、昔から薪割りって決まってるし。

昼までで目標にしていた作業が終わったので、「良山泊」の看板を作ることにした。

材料は、4年前に家を改修したときに出た材木で、とっておいた黒い板。それに昨日鳥が池キャンプ場から拾ってきた白樺の枝。工作すること1時間で完成。

なかなか様になっているではないですか!

白樺の枝を二つに割っていると、中からイモムシが出てくる。地元の人は炒って食べたりするようで、ぼくも食べたことはあるのだけど、今日はやめておいた。

この手の看板は、あとは広河原小屋だ。小渋の山賊計画、着々と進んでます。

ちなみに、今日は看板を作っても時間ができたので、屋根の落ち葉履きをした。年末にやっておけばよかったのだけど、案の定樋に落ち葉が溜まっていた。それに瓦が一枚割れていて、雨漏りの原因になっていた。心配事が一つ減ったよ。

 

 

黒の田街道を行く

うちで作っている田んぼは、3キロ先の所沢から水を引いている。その井水を黒の田井水という。毎年年末には水を見てパイプを水が流れるようにしているのだけど、今シーズンは完全に水が止まった。

うかうかしている間に林道のゲートが閉められて見に行けなくなったため、取水口がどうなっているのか歩いて見に行くことにした。

この所沢は、鳥が池キャンプ場のすぐ脇を流れているのだけど、小河内沢に交流するところには、リニアの釜沢非常口の掘削口がある。また、秋口には鳥が池キャンプ場の水道が止まったと、近所の人が言っていて、さらに、南山牧場の池の水が枯れたとも言われていて、沢の減水が取水に影響していないか、とても心配になる。

黒の田街道は、黒の田井水のパイプ沿いに取水口まで斜上している。昔は木馬道で上蔵の人が、炭焼きや材を下すのに盛んに使っていたのだと思うけど、今はあまり活用されない。でも途中、赤石岳の見えるビューポイントもある。

ずいぶん雪がついている。見上げると宿り木もある。

途中、黒の田井水の整備のために昔小屋かけしたのか、休憩所もある。

黒の田街道はほぼ雪がない。途中、鹿の一群と出会う。所沢(黒の田沢)に入るとようやく雪が出てきて、沢は凍っていた。

氷のカーテンになっている。

取水口に行くと、水がちょろちょろとしか入っていない。

下の取水施設に水が溜まっていない。目詰まりして流れ込んでいないというのと、上の取水施設からの水がほぼなくて、十分な水を確保できていないようだ。

さらに上流に向かうこと10分。上の取水施設は目詰まりしていた。上に載った網の落ち葉を払うくらいでは間に合わないようだ。

昨年の豪雨で、最上流の取水施設は破壊されたため、見ると別の場所から取水をしていた。でも水が足りないのか、水が漏るのか、パイプに流れ込んでいない。

全体に水が少ないように思えるけど、冬場だからか、リニアのせいなのか、いまいちわからない。

鳥が池キャンプ場も見に行こうとしたのだけど、途中ラッセルになりあきらめた。鳥倉林道には、登山者と思える足跡が先へと続いていた。

9時40分に自宅を出て、昼前に鳥倉林道につく。コーヒーを入れて再び黒の田街道を戻る。途中山の神あり。

最近のはやりは「持続可能」らしい。井水のメンバーを維持するのも、井水を維持するのも、かなり持続可能な線ぎりぎりだ。春が来るまでに相談しよう。

喬木村と飯田の造成地

良山泊に食客がやってきたので、飯田方面をあちこち案内した。153号線を走っていると、前のほうに「喬木村造成地」というマークのあるダンプが走っている。もちろん、南アルプス破壊土を運んでいる

上郷のところを左折するので、ついていくことにした。まだ喬木村の造成地は見に行ったことがない。

さして時間が経たずに天竜川沿いの造成地に到着。

ちなみに最近、大鹿村に来ている業者は、愛知県犬山市の愛河興業というところだ。伊那谷のダンプではだんだん足りなくなってきたということなんだろうか。

このくらい盛られてます。

表示いろいろ。見ているとわかることがある。

ちょうど土砂を積み下ろしているところでした。

上郷まで戻ってきて、せっかくなので、長野県駅予定地で立ち退き予定者を受け入れる飯沼の宅地造成地を見に行った。

こちらはほぼ造成が終わっている。大鹿村の南アルプス破壊土が持ち込まれている。飯田の人たちはまだ信じているけど、リニアはできない。

大鹿村もそうだけど、馬鹿な計画で勝手に線を引かれて、周囲には「馬鹿な計画」と言えないところが難しいけど、やっぱり馬鹿な計画です。長野県駅周辺では、立ち退かないと表明している人もいます。

というわけで伊那谷周回リニアの旅、伊那谷はこんなにいびつです。