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県外からの交流を議員の横車でキャンセルされた件

先日、リニアの問題に取り組む県外のグループが大鹿村を訪問したいということで、村内の案内と交流会の設定をお願いされた。

ちょっと先だったし平日でもあったので、一応仲間と相談して受け入れを決めて先方に返事をした。

その後、そのグループの方が大鹿村の知り合いの議員に村を訪問することを伝え、その議員は別日の土日に交流会を持ちたいと連絡したという。その後、そのグループで折衝に当たった方が、その議員とぼくたちの関係について聞いてきたので、「仲良しじゃありません」と正直に答えた。

その議員は以前工事を着工するとき、議会が賛否を表明した際、リニアに反対していたが、その後住民のリニア関係の陳情を否決したし、「多数決で議会が賛成と決めたから私も従う」と言ったことがあるので、強く抗議したことがある。

人数が多いほうに従うのが考えなら、反対と思って投票した有権者を愚弄しているからだ。そういう政治家は多いのかもしれないが、それが正しいと思っていることはいただけないので抗議した。

という話を伝えたところ、先方の団体で対応を協議すると言われ、しばらくしてぼくたちへの要請は白紙になって、その議員と交流会をすることに決めたという。

ぼくは、交流会はその議員を優先していただいてかまわないし、議員との交流会を開いてもぼくは行かないと伝えていたものの、案内そのものがなくなるとは思っていなかったので、ちょっと驚いた。

折衝に当たった人もお詫びしていたし、責任を感じたのか、その方は大鹿村訪問を取りやめたという。

なんだかもやもやしたものを感じたのでちょっと考えてみた。

まず、その議員とそのグループの中に知り合いの人がいたというのなら、最初からその間でやりとりすればいいと思った。

次に、その議員はぼくには何も伝えず、そのグループと日程を調整して別日にしようとした。とても乱暴。本来であればぼくと日程の調整をしたうえでそのような提案をするべきだろう。

また、間に立った人は詫びていたが、詫びるくらいなら、その議員にぼくと連絡をして調整するように促すのが筋だろう。この際、議員とぼくとの関係は彼らには関係なく、忖度してどちらかを選ぶ、というのをあえてとったことが混乱を促している。

またその議員は、自分が望んだ日程に交流会が設定できた時点で、せめて断りの連絡程度のことはすべきだろう。しないというのはつまりする必要もないということになる。要するになめている。

さらに言うと、その方は議員なので権力者でもある。政治家が市民団体の活動に横車を入れたと言われても仕方がない。多分自分では自覚がないだろうけど、その方はリニアには反対しない立場なので、悪意でとればリニアの反対運動を妨害するためのことをしたと言われても仕方がない。

こういうことは、関係性に注目して順番を間違えなければもめるほどのことではない。先にあげたような手続きを順番に踏めばいいだけだ。

そのグループの中にその議員と知り合いの方がいたとしても、すでにぼくたちが受け入れを決めて約束もしているのだから、その議員と交流したい人が個人的に日程をずらしたり別の機会を設けたりしてすればいいだけの話だ。

ぼくも取材をするのでそういうことはよくあるが、いっぺんに誰も彼も会えるわけもないので、そうすることはよくある。取材を申し込んでいて、別の人から誘われたからと言って、キャンセルしたりは普通しない。

同じリニアに反対しているからという仲間意識から、こういう義理に欠く行為も許されるという甘えが、むしろ運動を分断するということは本当によくある(ちなみにその議員はリニアには賛成なので運動の観点から見ると特に仲間ではない)。

大鹿村に限らず、団体や組織に所属すると、こういう仲間意識から自分たちの理屈がよそにも通じるという発想で、驚くほど傍若無人な対応をしている場面をよく見る。それはむしろ個人間の関係を壊し、運動の足を引っ張るものになりかねないので、注意を促すためにも、書いておく。

ちなみにそのグループの方たちのことをぼくはあまりよく知らないけど、リニアに取り組むということで、運動の観点から時間を割いて宿泊場所の提供も申し出た。村内の案内は会の活動の一環としても位置付けている。詫びればすむということではなく、その程度の義理を欠く行為が運動のために正当化できるというなら、その理屈はJR東海の横柄な態度と変わっているようには、ぼくには見えなかった。

後味が悪い思いで遠方から大鹿村に来て互いに旧交を温める、というのはそんなに楽しいことなのかな。

 

 

 

 

半の沢2022.2.3

2月3日の、中川村半の沢のリニア残土置き場予定地。

中川村は曽我逸郎前村長のときに、県道松川インター大鹿線のトンネル掘削のための残土置き場に限定して、ここに残土を置くことを了承した。

そのとき曽我村長に会いに行って、リニアの残土受け入れはおかしいんじゃないの、というと「そんなの共感が得られない」と気色ばんでいてつまんない対応だった。

その後曽我さんは2度にわたって衆議院選挙に出馬して落選。

公約を見ていてもリニアに反対するでもなく、地元の大きな争点を無視して当選したところで、助けてはくれないだろう、と応援はしなかった。大鹿でも「慎重に推進」の姿勢だったようなので、言っていることは保守と変わらない。

現在、中川村は曽我さんの後継が村長をしている。

トンネル残土置き場に決まってないときに、JR東海が残土置き場前提で、小渋線の既存残土を対岸に移したときには抗議をしていたものの、結局受け入れ。受け入れるには村もそれなりに権限があったはずだが、同調圧力と、県や業者への配慮以外に、どういう理屈で受け入れたのか、聞いてみたいところだ。

もちろん、南アルプス破壊の土が運び込まれていることは言うまでもない。