新型コロナウィルスの感染拡大で、全国規模の登山団体が登山自粛を呼びかけたりしている。
この人たちは、戦争協力した過去の歴史をまったく学んでいないとつくづく思う。
何が危険かそうじゃないか、ということを手放さないのが登山の本質だとぼくは思う。信仰の対象であり、タブーとされてきた高峰に足を踏み入れることが、アルピニズムの発祥だとするなら、登山口に人が集まる、人気の山に人が集まるという理由で登山の自粛を呼びかけるなど、もはや登山家としてのスピリッツを忘れた自殺行為だと言える。人が集まるのが問題なら、道を外れて人のいないところに行けばいい。長野県の救助組織がコロナ対応に時間がかかって遭難者を見殺しにすると言ったとしても、それをリスクとしてどう引き受けるかはこちらの問題だ。社会の規範通りの行為を全員がとることが美徳とされるなら、過去の冒険など生まれはしなかっただろう。
というのが登山者としてのお題目になるはずだけど、実際は社会のつながりの中で山に入れなかったりするし、ぼくの場合も目的の山第一弾は延期して、じゃあというわけで大鹿村から大西山を越えて豊丘村に抜けてみた。
というわけでスタートは釜沢、取材の一環で、大河原中心部までは自転車で移動。釜沢の残土置き場はバッサバッサと伐採されてた。
日向休からの赤石岳。
鹿島が入る工員宿舎。100人ほどの作業員のうち半分に行かないくらいが県外。大阪、香川のナンバーが多い。
大鹿村は花桃の季節です。
大西山をひたすら登る。
山頂。
山頂の一つ手前のピークでコンパスを合わせ、ペナントのある尾根を下り、そのまま谷へ。間伐材が倒れていて歩きにくいが実はしっかりとした道がついていて、そこにたどり着いてからはスムーズに下りる。
途中にある造林小屋は倒壊。
山を抜けると、不吉なことにリニアの送電網のための建設作業所が出現。
最初の集落は北山という廃村。神社は残っていて、祠もしっかりしていた。
とても美しい渓谷沿いの道を進む。途中徒渉。
下り着いたのは野田平キャンプ場。コロナの影響でまだ営業が始まらない。
こごみ王国を発見。
翌日はさらに川沿いの道を進む。昔は小学校まで子どもも通ったのだろう。
坂島の集落は無人。坑口が川向うに見え、手間にはヘリポートが田んぼをつぶしてできていた。
峠越えの道に入る。
峠らしい峠。祠の跡が残って、実に楽しい峠道。
ところが峠を越えると、道が造成されている。土曜なのに工事中。リニアの変電施設のための道を作っているそうだ。
こんなに造成する必要があるのかというくらいの荒れっぷり。
猛スピードの生コン車。
佐原の集落は実に美しい。
今回の終点は村民体育館にしました。
帰りに福島てっぺん公園に立ち寄りました(送迎付き)。伊那谷が一望。
大鹿村から豊丘に抜ける道は荒廃して通れないと心配しましたが、実際には中部電力の巡視路や造林の道になっており、地図読みさえできれば道はあります。山慣れした人なら、1泊2日の楽しい峠越えの道になるでしょう。ただし、リニア工事がなければ・・・